「ジョイランド 私の願い」
これは傑作だった。映像センスがいいのでしょう、画面がとにかく美しいし、映像で物語を語っていくという基本的な演出が見事で、手段として使ったトランスジェンダーという存在が、新しい考え方に変化していくパキスタンの時代の流れを巧みに映し出し、家父長制の衰退、女性の自立、生き方の多様性などなどを随所に描写していく構成も見事。相当なクオリティの一本だった。監督はサーイム・サーディク。初監督作品。
シーツを被ったハイダルが兄サリームの子供達と遊んでいる場面から映画は幕を開ける。兄夫婦は子沢山で、サリームの妻ヌチは出産を控えている。ハイダルは今は無職で、美容師の妻ムムターズが生計を支えている。ハイダルは知人の紹介で劇場の仕事に就くが、それはバックダンサーの仕事だった。そも劇場のステージで華麗に踊るトップダンサービバと出会う。彼女はトランスジェンダーで、劇場主からさりげなく嫌がらせを受けていた。ハイダルはそのダンスに魅了されてしまい、いつの間にか恋に変わっていることに気がつかなかった。
家に戻ってもダンサーになったことは父や兄にも話せないハイダルに、妻のムムターズは苛立ちを感じていた。しかも帰りが遅くなり、性生活もなおざりにされるようになり、ムムターズは欲求不満も募ってくる。やがてハイダルはビバと恋愛関係に進んでいく。ムムターズは職場で、突然の停電にスマホのライトで花嫁の化粧を仕上げた時の話などをハイダルにしたりする。やがてヌチは子供を産むが、医師に事前に聞いていたのと違って女の子だった。ヌチは男の子が生まれることをまだまだ尊重する昔ながらの考えの義父や夫に違和感を感じてしまう。
ヌチは、ハイダルが家に疎遠になり苛立っているムムターズを、近くにあるジョイランドという遊園地に連れ出す。その夜は、義父をいつも食事を持って来てくれる近所のおばさんに任せていたが、いつまでも子供達が帰らず、一夜を共にしたおばさんには余計な噂が広まってしまう。そのおばさんの息子がサリームの家に来て、サリームの家族を非難したりするが、おばさんは、世間の噂など全く気にしないと断言する。
やがて、ムムターズが妊娠していることがわかる。その夜、ハイダルはビバと体を合わせようとするが、変態的な態度をとるハイダルにビバが怒り追い出してしまう。行き場を失い家に戻ったハイダルは、ムムターズから妊娠したことを告げられる。実はこの夜、ムムターズは家を出る決心をして一旦出て行ったが戻ってきていた。ムムターズはハイダルに、赤ん坊は男の子だと話す。義父やサリームは跡取りができると大喜びする。サリームの子供は皆女の子だった。
ハイダルたちの父の七十歳の誕生日の日、ムムターズはお腹が大きいのにサリームの子供達と鬼ごっこをしたり、飾り付けを背伸びして撮ろうとしたりしヌチに諌められるが、ムムターズのどこか寂しい姿に不安を感じる。ハイダルはムムターズをいたわるが、ある夜、ムムターズは自殺してしまう。
葬儀の日、跡取り息子まで殺したとなじるサリームにヌチは罵倒する。ハイダルも初めて兄を罵倒し、後日、一人旅に出る。かつてムムターズに恋に落ちていた頃を思い出し、死を覚悟して海に入っていく。こうして映画は終わる。
人々の考え方の変化を的確に描きながら、男女の話、親子の物語を描いていく様が素晴らしい。スタンダード画面ながら、空間を区切った構図やカメラワーク、ネオンの光を効果的に活用した効果も美しく、なかなかの秀作でした。
「二つの季節しかない村」
延々とした知的会話劇と一人台詞がとにかくしんどい。構図といい、展開といい、優れた作品だと思いますが、いかんせん淡々と静かに進む物語の背景に潜む国情や貧困問題、さらに人生感をも映し出す知性溢れる展開に陶酔感を覚えてしまいました。監督はヌリ・ビルゲ・ジェイラン。
トルコ東部東アナトリアの村、真っ白な雪原に一台のバスがフレームインして来て一人の男サメットが降りてくるところから映画は幕を開ける。この村を出たものの再び美術教師としてこの地の学校へ戻って来たサメットは、人生の行く末に目標も見失った空虚感に浸っていた。サメットはこの村を忌み嫌っているのだ。この地の古い知り合いの獣医師のところに、幼馴染だろうか、職もなく、評判も良くない男と立ち寄る。
サメットは学校では女生徒に評判も良く、贔屓にしているセヴィムという生徒に土産物をやったり、教官室で話したりして親しくしている。サメットは知人の勧めで英語教師をしているヌライと出会う。彼女はテロに巻き込まれ片足の膝から下がなかった。サメットは同居人でこの地で7年勤めている教師ケナンを引き合わせ、三人で親しくなっていく。
ある日学校で手荷物検査があり、サメットがセヴィムにプレゼントした鏡とノートに挟んでいたラブレターが没収される。サメットはそのラブレターが気になり、セヴィムに返さずに捨てたと嘘をついて没収してしまう。ところがまもなくしてサメットとケナンに不適切な接触を受けたという訴えが教育支部に報告され呼び出されてしまう。結局、二人は問題ないとされたものの、訴えたのはセヴィムとその友人アリソンだと知り、さらにすっきりしないサメットは同僚の言葉から、実はケナンが標的でそのとばっちりでサメットも訴えられたらしいと言われる。しかし目をかけていたセヴィムの裏切りという事実のショックは拭えず、心に蟠りを残す。
一方、ヌライはケナンに車の運転を習い始め、たまたま街で二人が親しげにしているのを見たサメットは嫉妬に近いものを感じてしまう。後日ヌライは二人を自宅の食事に誘うが、サメットはケナンに告げずに一人で行き、ヌライと延々とさまざまな議論を重ねた挙句一夜を共にして戻って来る。そんなサメットにケナンは執拗に問い詰め、サメットもヌライと関係を持ったことを話す。そこへ、ヌライが立ち寄り、三人の友情への疑問を投げかけて家を出るが、吹雪が激しく、結局サメットとケナンに送ってもらう。
やがて冬が去り、この村には突然秋がやってくる。サメットはこの村を去る決心をする。終業式の日、ケーキを教官室に持って来たセヴィムに、何かいうことはないのかとサメットは問い詰めるが、セヴィムは何も語らず部屋を出ていく。サメットは、彼女もまたこの村に囚われ、気がつくと秋を迎えるのだろうと呟いて映画は終わる。
クオリティは高いのですが、いかんせん延々とした会話劇がとにかくしんどくて、自分には合わなかった。