「くちづけ」(’55)
石坂洋次郎原作の短編三作を三人の監督が描くオムニバス映画である。
一番最初が筧正典監督が描く「くちづけ」、若い男女の学生の物語が、女学生の義理の姉の再婚問題を絡めて描かれる。
石坂洋次郎らしい、どこか少女趣味のにおいのする学生同士のほのかな恋心の物語である
二番目が鈴木英夫監督の「霧の中の少女」。会津の田舎に戻ってい女学生の由子のところに、あちこち貧乏旅行をしている青年上村がやってくる話で、娘の両親の心配、ちゃきちゃきと応対する妹妙子、進歩的で陽気なおばあちゃんと人物描写がとってもきれいに描かれている秀作。
三番目が成瀬巳喜男監督の「女同士」。町の医院を舞台に、若い看護婦に無用な嫉妬を持つ院長の妻の姿を小気味良いタッチで描く、ほのぼのしたコメディ。さすがに、成瀬の演出は無駄がなく、見せるべきテンポが実にしっかりしている。
どの一本も凡作がないというのが、本当に心地よい作品で、原作の良さ以上に松山善三の脚本が光る映画だった気がします。
「プロミスト・ランド」
久しぶりのガス・ヴァン・サント監督作品である。
主人公スティーヴが顔を洗っているシーンから幕を開ける。彼はシェールガス採掘を行うグローバル社の開発担当で、次のターゲットになる村の計画を立てている。
非常な安価で次々と契約していく彼の手腕は会社も認めていて、次のターゲットの村にやってくる。サポートはスーという中年の女性。村の利益になると熱弁するスティーヴに村人たちはたやすくなびきそうだったが、集会の席で、一人の高校教師が反論し、さらに環境保護団体の青年ダスティンもこの村にやってくる。
典型的な環境保護と資本家の対決パターンの映画として物語が進むが、敵対する丁々発止のストーリー展開ではなく、淡々と進んでいく物語に違和感を覚える。
ガス・ヴァンサントならではのリズムで、ハイスピードの風景なども挿入し、どこかあまりにもふつうの映画のように進むのだが、いよいよ住民の投票の前日、スティーヴのところに会社から一通の封書が、そこには、ダスティンが掲げる、シェールガスに開発で農場が汚染し、牛が倒れている環境破壊の写真が作りものだという証拠があった。
勝利を確信したスティーヴは町を去るダスティンのところへ。しかし、ふとした一言で、驚愕の真実が明らかになる。実はダスティンも井会社の回し者で、環境保護団体がくるのを阻止するための架空の団体だと告げられる。そして、会社に踊らされていたのはスティーヴだと告げる。
住民投票の日、彼は、すべてを語り、ガス開発にも、農地を守るのもどちらの判断も語らず、ものを大切にした祖父の話を交えて、その場を去る。外では、スーがスティーヴに解雇の連絡を告げる。
確かに、一筋縄でいく作品ではないと最初からわかっていたのだが、非常に意味深いクライマックスに、考えさせられる何かを感じた気がする。ただ、その意図するものが監督やスタッフの言わんとすることだとはいえ、ちょっと、作品全体に迫力が足りないのが残念な感じがした。
物語の流れの中で語られる人々との交流、地元の女性との関係、祖父との思いで、高校教師との食事の場面など、訴えるメッセージを含ませた場面がたくさんでてくる。しかし、どれも上品すぎるような気がする。どこかにポイントがほしい。そう思うのは私だけでしょうか。