くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「HOMESICK」「ジンジャーの朝〜さよなら、わたしが

HOMESICK

「HOMESICK」
PFFスカラシップ助成作品である。確かにマイナーな映画なので、こういう映像は仕方ないと思うが、スタッフが足りなかったとはいえ、もう少し照明に配慮した方がいいかなと思う。意図的かと思えばそうなのだが、ほとんど登場人物の顔がつぶれていて見えない。わざとでしょうか。それとも、映写機のせいでしょうか?。

監督は廣原暁という人である。

飛行機雲をぼーっと見ている主人公のシーンから映画が始まる。ペンキ屋につとめる健二は、遠くでペンションを営む父がいるが、今の自宅で一人暮らし。今の家もまもなく明け渡しが迫っている。いつも近所の悪ガキがピンポンダッシュしたりしながら、からんでくる。

ある日、ペンキ屋が倒産、なにも行くところがなくなった健二は、いつもふざけてくる悪ガキ三人の相手をする。そして、庭に段ボールで恐竜のオブジェを作ったりする中で、方向が見えていなかった自分の生き方に、かすかな光を見いだして、この家を出ていくという物語だ。

いかんせん、レフ板などもないのか、ほとんどが逆光の映像がちょっと見苦しい。悪ガキ三人の生き生きしたシーンだけが妙に心に残る。

こういうマイナー映画は、メッセージがさりげなく伝わるおもしろさがあって、この作品も、主人公がでていって後、子供たちが空き地でサッカーをするシーンをバックにしたエンドクレジットで幕を閉じる。なにか、淡い感動が見えなくもない。

悪ガキ三人の中の一人の鍵っ子に自分を見た健二は、彼を水族館へ連れ出そうとするが、休みで、仕方なく壁にイルカの映像を映して遊んでやったりする。「大人になりたくないと思った時点で大人なんだ」と子供に言って別れる健二。

オブジェを処分し、いずこかへ消えたがらんとした部屋の片づけにきた、かつての幼なじみの不動産屋の女性が、オブジェの前で撮った写真の生き生きした顔に笑ってしまうシーンがいい。

たわいのない一本ですが、それなりの感性は持っているようで、次のちゃんとした映像作品を見てみたいと思える一本でした。


「ジンジャーの朝〜さよなら、わたしが愛した世界〜」
映画が始まるといきなり原爆のキノコ雲、そして1945年広島と文字がでるから、びっくりするが、続いて1945年ロンドンとでt、二人の妊婦が手をつないで、やがて二人の少女、と映像が続く。

監督はサリー・ポッターである。

それから17年たった、まさに世界が冷戦のまっただ中、二人の少女ジンジャーとローザがこの物語の主人公である。

二人はいつも一緒に行動し、ヒッチハイクをして夜遊びをしたり、原爆反対運動に参加したりする。ジンジャーの父ローランドは思想家で、逮捕歴があるが、ちょっと男前で、大学の学生と浮気をしているようで、妻のナタリーとは犬猿の状態である。

ローザの母は継母であるようで、何かにつけて、ローザと溝ができている。

二つの家族、二人の少女の物語が、世界が核の恐怖におびえ、折しもキューバ危機が勃発し、一触即発の事態になっている中で展開。当時の若者らしくジンジャーは核の恐怖、世界戦争におびえる一方で、思春期の少女らしい危うい感情の中で生きている。

そんな中、ローザはジンジャーの父ローランドに恋をしてしまう。それは、単なる大人の男性へのあこがれからのものなのか、純粋な恋心か、そのあたりの描写が曖昧なところがまた、不安定な彼女たちの感情を映し出しているようで、実に不思議なムードを感じさせる。

そして、ある日、ローザはジンジャーに妊娠したことを告白するのだ。混乱したジンジャーは核禁止運動に参加し、警察に捕まってしまう。何とか、釈放してもらったが、家族の前で、ローザがローランドとSEXをしていると半狂乱の中で告げるのだ。母ナタリーは狂ったように自室に入り自殺未遂を起こす。

病院でナタリーの快復を待つ間、ジンジャーは次第に冷静になり、自らの手帳につづっている詩に、ローザを許すと書く。そして、自分は新たな未来へと踏み出す決心をするのである。

ジンジャーを演じたエル・ファニングがとにかくかわいい。ローザを演じたアリス・イングラートもキュート。この二人をみているだけでもきゅんとする作品だった。