中国と台湾が分裂した1949年から数十年たって、生き別れになった家族の交流が可能になった時代を経て、今一通の手紙が中国に住む女性ユイアーのもとに届くところから映画が始まります。
この作品、幾度となく食卓を囲むシーンが出てくる。そして、そのシーンではカメラはテーブルに集まった人々が会話し、談笑する姿をじっと長回しとらえるだけである。そして、そこでは取り留めのない昔話、苦労話などが屈託のない会話の中で展開する。
物語は数十年前に台湾に逃れたイェンションが、逃れる前に中国で結婚していたユイアーのところを訪ねてくる。今ではユイアーも中国で別の家族を持っているが、イェンションは一緒に台湾に帰ってほしいと話す。現在のユイアーの夫シャンミンは快く承知するも、子供たちは複雑な思いで反対をする。という話だ。
イェンションというのが、いわゆる近代化の波の象徴であり、それに揺れ動くユイアーの家族の姿が、昔懐かしい中国の家族、社会の象徴なのだろう。
とはいえ、どうも、国柄というか、生活や考え方の違いに入り込めない部分があり、最後まで感情移入できなかった。
イェンションがやってくるのを町中で大歓迎したり、道行く人がお祝いや激励の声をかける。大都会上海のビル群がそびえ立つ片隅の下町のような風情が何とも近代化の進む中国の姿を浮き彫りにしていて、興味深い。
とはいえ、最近の中国映画の特徴でもある、急成長とそれに取り残された人々の矛盾がこの作品でもしっかりと描かれる。
ユイアーの家族は近々できる高層マンションへの移住が決まっているし、都会の仕事に時として家族を振り返らなくなっていく長女や次女夫婦の姿もさりげなく挿入される。
そんか急速な時の流れの中で、何度も何度もテーブルを囲んだ昔ながらの中国の家族の集まる姿は不思議なくらいに現代的に見えるようにも思う。
結局、今の夫であるシャンミンが倒れ、不自由になった姿を見たユイアーはイェンションについていくことを断る。イェンションも快く了解し、最後に屋外で食卓を囲むが、いざ食事になったところで雨が降る。
イェンションがかえって一年後のエピローグシーンでは、マンションに移ったユイアーとシャンミン、孫娘の3人の姿が移され、みんなで食事をと子供たちを誘うも誰も来ない。孫娘も近々結婚するという。そして夫はアメリカへ行くのだと告げる。
どんどん都会化が進み、一気に戸惑う暇もなく生活習慣が移り変わる姿を端的に示した見事なラストシーンであるが、個人的には、中国のこの手のテーマもさすがに使い古されてきたのではないかと思えなくもないのです。