くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「軽蔑」「クロエ」

軽蔑

「軽蔑」
約二時間半の作品であるが、なんともだらけた映画だった。物語にメリハリがない上に、映像展開にも緩急がない。出だしで、主人公の一彦がトップレスのポールダンサー真知子をさらって逃げる場面はいいとしよう。そこからの逃避行が結局郷里に帰って両親に報告、そこから地元のチンピラとのやりとり、中途半端な幼なじみとのなれ合い、そして当然ながら父親との確執。そのそれぞれが終わっては蒸し返し、また一段落してはくりかえす。
中江健次の原作がそうなのかもしれないが、そこは映像化するに当たっての脚本で作り直すべきとところも必要ではないか。

じっと、据えたままで延々と回す長回しのカメラワークと引きと寄りを繰り返す無人のショットの挿入など廣木隆一らしい演出が見られることは見られるが、それが作品に何の効果も呼び起こさず。ひたすら、真知子を愛する一彦のひたむきさを熱く語りたいのだろうが、どうしようもなくやるせない一彦の姿も彼にどうしようもなく引かれる真知子の姿もこちらに伝わってこないのだ。

離れてはくっつき、また疎遠になったかと思えばいつの間にか出会ってくる。中江健次の原作なので、切なくも行き場のない若者たちのドラマなのだろうと思う。しかし、背後に時折流れる寂れた歌声や周りの脇役の存在感が何とも希薄なのだ。

終盤で大森南朋扮する山畑が「こんな町もおまえたちもきらいだ」と語らせる中にこの作品の全体の訴えがあるかにも見えるが、真知子を電車に乗せ見送った一彦の姿で終わりかと思えば、山畑の事務所に殴り込み、瀕死になって逃げたところで真知子に再会しそのままタクシーの中で生き絶える。くどいのである。

神代辰巳監督的な背後に流す歌詞などの演出も廣木隆一の個性かもしれないが、1時間半程度に圧縮してドラマを濃厚にしたらもっといい作品になったように思います。

「クロエ」
今大人気のアマンダ・セイフライド主演のサスペンスミステリー。最初からラストシーンまで引き寄せられる魅力と食い入るように迫ってくるミステリアスな展開に飽きさせない秀作でした。アマンダ・セイフライドが身につける衣装もすごく素敵で、高級娼婦のイメージを見事に表現しています。それにデビッドたちが暮らすガラスと鏡を中心にした豪邸も素晴らしい効果を生みだしていました。アトム・エゴヤンの演出は夜のネオンの光を効果的に使う一方でガラス張りの邸宅のオープンなようで閉鎖的な空間が物語のミステリー感を増幅させる演出も見事でした。

大学教授のデビッド、産婦人科医のキャサリン、そして一人息子のマイケル。かなり裕福な家庭でしかも夫婦の愛情も暖かく、息子のマイケルは反抗期であるがそれはふつうのレベルで、父親とも確執もなく、ややいらだち気味の母親もふつうのレベルに見える家庭。どこにほころびが見えるわけでもないのに、妻のキャサリンはたまたま自分が企画したデビッドの誕生パーティーのサプライズに遅れた夫にささやかな疑問を抱くところから物語が始まる。

偶然デビッドの携帯にきた女学生からの写真入りメール。仲良さそうな二人の写真と「夕べはありがとう」のメッセージにすっかり舞い上がる妻。老いと子離れの始まる息子、夫へのささやかなアンバランスに拍車をかけて事件が引き起こされていきます

たまたま自分の病院の屋上から路上を見下ろしていて一人の娼婦らしい女性とふとしたところで知り合い、彼女クロエに夫を誘惑してみてほしいとお金を渡す。

こうしてミステリアスなストーリーが始まるのです。

デビッドとの赤裸々な情事をリアルにキャサリンに報告するクロエ。その描写に思わず目を背ける反面、どこか懐かしい夫との欲望を思い出していくキャサリン之姿が微妙で見事な演技なのです。そして、そんな様子をちらちらと上目遣いに見るクロエを演じるアマンダ・セイフライドの演技も抜群。

しかし、次第にクロエの話は彼女の作りごとであることが観客には気づかされてくる。
一方、次第にキャサリンに疎ましく思われ始めたクロエは息子マイケルにも近づき始める。このあたりから、これはクロエのサイコミステリーな展開に進むのだろうと予感し始める。
この二転三転していくかに見える物語に実におもしろく引き込まれていくのです。

そして、とうとうクロエとキャサリンは体を重ねてしまいますが、それでもさらにエスカレートするクロエの行動にとうとうすべてを夫にあかそうと呼び出す。そこへたまたまクロエがやってきて、夫はクロエのことを知らないとキャサリンに話したところから一気にすべてがクロエの仕組まれたことだと知るキャサリン。そして夫婦は仲直りするが、クロエは絶えられず、マイケルを自宅で誘惑し体をあわせる。

そこへ帰ってきたキャサリン、もみ合いの末思わずクロエと唇をあわせる。その瞬間をガラス越しに見るマイケルに気がつき突き放したところクロエはガラスの壁の方へ、その勢いでガラスがはずれ、一度は踏みとどまるクロエだが、すべてを察したかのように支える手を離し落ちていく。

一気に大団円を迎えるクライマックスがすばらしく。その後のエピローグにパーティで談笑するキャサリンの頭にはかつてクロエが自分の母の髪留めであるとプレゼントした髪留めが止められ、意味ありげなエンディングを迎える。

冒頭、クロエが下着を身につけながら娼婦の心得、自分の行動の規範などを語りながらタイトルバックするファーストショットから、ホテルを出ていくクロエを見下ろすキャサリンの姿にかぶる導入部が実にラストシーンとかぶって意味ありげ思い出されます。

クロエがキャサリンと初めてトイレで出会うシーンもどこかクロエの意図的でもあり、そこで髪留めをプレゼントしようとする下りさえもラストまで生きてくる。
結局、クロエはキャサリンに近づきたかっただけなのか?果たして彼女の本当の心はどこにあったのか?家庭を壊す目的、キャサリンを得る目的?そんな疑問が残る見事な一本でした。

それにしても、登場するデビッドにしろ、最初の彼女を家に引き込んで一夜をともにしながらもフられてしまうマイケルにせよ、でてくる男は非常に存在感が薄い。これがこの映画の一つのポイントかもしれませんね。