クソみたいな主人公のどうしようもない映画かと物語を追っていくのですが、レイラを演じたクリスティーナ・リッチがとにかくキュートでかわいいので、なんとか最後まで見ることができました。監督はギャスパー・ノエ。この人の感性とは結局この映画の主人公のように破綻してるんだろうかと思います。
子供の頃の主人公ビリーのショットからタイトル、そして刑務所から出てくる主人公へと物語は進む。トイレに行きたくなるが最後の街へ行くバスが来たのでとりあえず乗り込む。目的地でトイレを探すが見つからず、ダンススタジオに忍び込んで用足ししようとするが隣の男が妙で、言い争っているうちに出なくなる。
両親に電話をし、以前から自分は結婚しているという嘘を言っていた。そこへたまたまスタジオに来ていたレイラという女性を拉致し、無理矢理恋人に仕立てて両親の元へ向かう。なんともめちゃくちゃで、しかもレイラは逃げようと思えば逃げられるのに逃げないのもちょっと謎。彼女の背景を全く描かずにラストまで走る。ビルはレイラにウェンディという名で自己紹介するように頼む。
両親の家についたビルは、レイラを紹介し食事をすることになる。アメフトの熱狂的なファンの母、一見気が良さそうだがビルになんの関心もない父。レイラは、ビルとCIAで知り合ったと明らかに嘘のような作り話をしても両親は適当に聞いているのか、話を合わすだけ。この冷たさが独特のムードを作り出す。しかも、これでもかとレイラは妊娠しているとまで嘘を言うが、それも上滑りの感激を両親は見せるだけ。
ビルはかつて、アメフトのバッファローの試合に大金をかけ、それで大損をし、無実の罪を被って収監されたのだ。その時の負けの原因を作ったスコット選手に恨みを持っていて、ピストルで仕返ししてやろうと考えている。
ビルは事あるごとにレイラと仲がいいように見せる写真を撮ったり、ボーリング場へいったりする。そこのビルのロッカーには元カノだという女性の写真が貼られていた。
ファミレスに入った時、ビルはその女性と再会。なんとその女性はウェンディと言い、ビルがレイラに騙るように頼んだ名前と一緒だった。ウェンディはビルの憧れの幼馴染だったが、ウェンディはビルのとこはなんとも思っていなかったのだ。
ビルとレイラはモーテルに泊まることにする。その向かいにはスコット選手が経営するストリップバーがあり、ビルは復讐のためにピストルを持って出かける。出掛けにレイラが、必ず戻ってきてと頼む。
店に入ったビルはスコットを撃ち、自らも自殺する予定だったがすんでのところで思いとどまる。彼の墓地で、彼のことを全然悲しまない両親のことさえ思い描いてしまう。そして店を出てピストルを捨て、レイラのためにココアを買いモーテルに戻ってレイラと抱き合っているストップモーションで映画は終わる。
終始キレまくっているビルのキャラクターがとにかく鬱陶しいし、そんな彼が、実はいい人だというのが見え隠れするほんの僅かのカットさえ面倒に見える。しかし最後の最後、といとう素直な彼になり、レイラと抱き合うシーンでなんとか救われるのだが、それでも、それほど好きな作品にはならなかった。
「ターコイズの空の下で」
芸術映画ですと言わんばかりの演出がやや鼻につきますが、映像センスが抜群で、とにかく映像が美しい。構図といい、色彩の発色といい目が覚めるほどに見事で、おそらくカメラも相当の物を使用したのではないかと思われる。ただ、物語はまとまりがなく、雑なので、脚本自体は大したものとは思えないのは残念。監督はKENTARO。
大会社の社長三郎の顔のアップから映画は幕を開ける。大企業を率いる三郎だが、跡取りの予定の孫のタケシは、放蕩三昧で当てにならず困っている。一人の男アムラが、三郎の厩舎から馬を盗み、乗って走り出す。すぐにパトカーに捕まるが、三郎はこの男に、助ける代わりにタケシとモンゴルへ自分の娘を探しに行って欲しいという。三郎は戦時中モンゴルでの強制労働の際、モンゴルの女性と親しくなり娘を作っていたのだ。
タケシはアムラとモンゴルへやってくる。運転手付きの車が迎えにきたが、アムラは次の日から地元の車を借りて自分で運転する。タケシは言葉も通じずアムラと行動を共にする。映画は二人のロードムービーの様相で展開していくが、とにかく風景のみならず人物を配置した構図の美しさに目を奪われる。広大なモンゴルの景色はもちろんですが、手前に人物を配置し背後に広がる景色をパンフォーカスで捉えるカメラ、家畜の群れのショットを背後に点のように映す二人のショットなど息を呑むほど見事。
途中、いかにもな若者の車と競争してみたり、車がダメになり、バイクに乗り換えたりする。ところがアムラは現地で馬泥棒の指名手配になっていて警察に捕まってしまう。一人になったタケシは万策尽きて平原で眠ってしまうが、通りかかったモンゴルの女性に助けられ、片言の言葉を覚え、その女性の出産にも立ち合い、馬の乗り方も覚える。そんなことをしていると、アムラがやって来る。タケシはモンゴルの女性のところを去り、アムラと共に馬でモンゴルを進むが、途中、馬レースではぐれた少年を見つけて助ける。そして少年の母のところに連れていくが、なんとその少年の母こそ、三郎が探していた娘だった。
微かな電波を頼りに携帯で三郎につなぐタケシ。その娘が三郎と一言二言交わし、やがて三郎は息を引き取る。人間として成長したタケシは会社を引き継ぎ、執務をする場面で映画は終わる。何度も書きますが、映像を見るだけでも値打ちのある作品でした。