くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「こちらあみ子」「夜明けの夫婦」「野生の少年」

「こちらあみ子」

歪に歪んだ映画なのか、やたら長く感じるのはなぜだろうか。ファンタジーであるようで瑞々しさがあるようで、どこかに残酷な暗い現実が見える。その不可思議さが独特の空気感を生み出している映画でした。監督は森井勇佑。

 

小学校の下校時、あみ子が一緒に帰るように言われているノリくんを探している場面から映画は幕を開ける。家に帰ると母さゆりが習字を教えていて、あみ子は隣の部屋から覗くが、生徒の一人ノリくんに見つけられ、さゆりがあみ子に、宿題をするように執拗に責める。このシーンで二人の関係がなんとなく見える。さゆりは妊娠していてお腹が大きい。この日、あみ子の誕生日でお祝いをするが、あみ子は自分勝手に行動をして、さゆりに疎まれる。あみ子には兄がいて可愛がってくれる。どうやらあみ子は知的障害者のようである。

 

ある時、さゆりが自宅で破水し病院へ行くが死産となってしまう。ショックのまま母さゆりは帰ってくる。あみ子や兄はさゆりに優しくするのだが、あみ子は死んだ弟の墓を庭に作ったことで、さゆりが精神的に破綻してしまう。それをきっかけに兄はグレ始める。さゆりは寝込んでしまい、家庭は崩壊していくが、あみ子はマイペースだった。

 

やがてあみ子は中学生になるが兄は家に居つかなくなり、母は入院してしまう。父は引っ越しをしようと提案する。あみ子は学校で親しくする同級生の男の子といつも通りの毎日を送る。あみ子が学校の帰り、海に入って行ったあみ子には誰かが、まだ冷たいよと声をかけて、振り返って映画は終わる。

 

知的障害者あみ子がつづる物語は、不思議なほどに歪んでいて、あみ子がいなければ幸せな家族だったはずが崩れていく様はいかにも歪んだ展開である。あみ子を通じて何か前向きなメッセージがあるいは汚れない言葉が見えてきたらいい映画なのですが、その辺りの描写は最後まで全くなく、その意味で、ちょっと好きになれない映画でした。

 

「夜明けの夫婦」

なんとも映像センスのない作品で、微妙にずれるカット繋ぎが居心地の悪さを感じさせながら前半が進み、舞台劇調のフィックスのワンカットの連続から、意味のないカメラワーク、不必要なギャグシーン、終盤にかけての、奇妙な嫌悪感と下手くそなユーモアがなんとも言えない心地悪さを覚えてしまいました。ラスト、なんとか救いがあるかのような締めくくりながら、これという感慨もなく終わる映画だった。監督は山内ケンジ

 

姑の晶子が、息子の嫁のさらに声をかけて、お昼のティータイムをする場面から映画は始まる。晶子は息子夫婦に子供ができないのが寂しかった。表向きは気にしていない風を装いながら密かに孫の顔が見たいという気持ちがつい見えてしまう姑の様子にプレッシャーを感じるさらだった。

 

彼女は韓国人で、夫の康介との仲が悪いわけではなかったが、あえて子供を作る行為に至ると康介が煮え切らない日々だった。そんな康介は、会社で別の女性と不倫していた。神戸への転勤が決まった康介は久しぶりに不倫相手と会い、ネクタイらしき包みのプレゼントをもらう。恨みつらみを言うその女を後目に、康介はそのプレゼントを捨てられないまま自宅に持ち帰る。息子夫婦に子供ができず、それでも孫に憧れる晶子は、白髪を染め、自分達がもう一人子供を作ろうと夫に迫るが、一笑にされてしまう。

 

浮気をしているのを薄々感じていたさらはだが、最近仕事を始め、神戸に行く康介にはついて行けない予定だった。ある夜、むしゃくしゃして帰宅したさらは舅に誘われて近くのバーに飲みに行く。酔っ払って帰るさらに思わず舅はキスをしてしまう。康介は帰宅してベッドで熟睡するさらに声をかけて部屋を出るが、突然康介の浮気相手の女が現れ、康介のカバンからプレゼントを出しさらの枕元に置く。目覚めたさらは康介には詰め寄るが、そんな女が部屋に入ることはないと言い張る。そりゃそうだ。

 

康介とさらはなんとか子作りをしようと励むがうまくいかず、康介は、さらがタンスになおしてあったプレゼントをゴミ箱に捨てる。ある夜、康介とのSEXがうまくいかないさらは、ゴミ箱に捨てられたプレゼントを開けると、なんとネクタイではなく包丁だった。さらはそれを持って風呂場に行き手首を切る。

 

場面が変わり、この日、康介は神戸から週一回の帰宅日だった。手首の傷も治ったさらと姑、舅ら四人で乾杯し、先日、バーのママに誘われたシャンソンのライブに行くことになる。バーでこれまで出てきた姑の教え子たちや友達、康介の会社の同僚などと会い、ステージは始まる。「夜明けの歌」の歌声を聞きながら映画は終わっていく。

 

奇妙にテンポの悪い映像演出が鼻につき、今ひとつ品のない感性で描かれた展開も心地よくない。それに康介たちのベッドシーンを含めラブシーンがいかにも美しくなく、映画全体の品が落ちてしまった気がします。駄作とまではいかないものの、今ひとつの作品だった。

 

「野生の少年」

ほぼ二十年ぶりくらいの再見でしたが、こんなに綺麗な画面だったかと思ったら、カメラはネストール・アルメンドロスでした。イタール博士の説明で物語が進んでいくのと、唐突なエンディングなので、心に訴えかけてくるドラマ性はあまりありませんが、普通の映画だった印象は変わりません。監督はフランソワ・トリュフォー

 

18世紀末、森で野生の少年が猟師たちに追い回されている場面から映画は幕を開けます。やがて、パリに連れて来られた少年はイタール博士の熱心な教育で次第に人間らしさを呼び戻していきます。物語はイタール博士の記録説明を中心に、少年が次第に人間らしさを見せてくるのを淡々と描いていきます。そして、突然行方をくらました少年が、博士の元に戻ってきて映画は突然終わります。

 

実話を元にしているので、派手な展開もありません。淡々と進む物語は、普通の映画という感じの一本です。