「急に具合が悪くなる」
ものすごい傑作だった。まず映画が高級である。映像も美しいし、せりふ回しも丁寧に演出されている。一見少子高齢化と認知症施設を問題にしたかのような展開ではあるけれども、台詞の一つ一つが実に知的で奥が深く、表面的な物語のさらに大きく取り囲んだような主題が見え隠れする。三時間二十分近くあるのに九十分程度にしか感じないほどの濃密な絵作りに圧倒されてしまう。圧倒されるのはラストシーンを見て初めて、もう終わりなのと感じてしまうほど時間を感じさせない。監督は濱口竜介。素晴らしい一本でした。
介護施設のディレクターとして働くマリー=ルーが、患者と話をしている場面から映画は幕を開ける。離れたところで一人の患者が声をあげているのに気が付いて駆けつけて、力を入れないようにと職員を諭す。その患者は豚の指人形をいつも手にしている老婦人だった。まもなくして、その患者は亡くなってしまう。
マリー=ルーは、ユマニチュードという介護手法を取り入れていこうと職員に研修を課していたが、職員の一部からは負担が増えるという不満が出ていた。職員不足の中、患者は増える一方でリスク管理もしなければならず、マリー=ルーのストレスはたまるばかりで眠ることも惜しんで職務をこなしている。そんな彼女の指導に、看護師が一人また一人と辞めていく事態に直面し、マリー=ルーはさらにいら立ちを深めていく。
マリー=ルーは仕事の帰りニュートラムに乗っていて、列車に並行して走っていく知的障害を持ったような青年智樹を見かける。公園で智樹の相手をしていて、マリー=ルーは彼の祖父で役者の吾朗と演出家の真理と出会う。
ある日、ベテラン看護師のソフィについ強硬な態度をとってしまう。すっかり落ち込んだマリー=ルーは、真理に誘われていた演劇を見に行く。そこで、吾朗の一人芝居を見るが、智樹が舞台に乱入したり、観客が楽器を鳴らしたりと独特で、そのお芝居に共感し、真理と夜のパリで話をし、マリー=ルーが住んでいる、施設の旧施設長の部屋へ遊びに行き一夜を共にして語り明かす。実は真理はステージ4のガンで、急に具合が悪くなる可能性があり、その症状が出たら数週間の命だと告げられていた。
そんな真理は、マリー=ルーの施設で患者と接している際、体調が急変し入院することになる。余命が明確になった真理は京都の実家に戻ることにするが、マリー=ルーも同伴してくる。真理はそこで、自身がお気に入りの山間の場所にマリー=ルーを案内する。そこでマリー=ルーは、日本でホスピスに入る予定の真理に自分の施設で部屋をとるから来ないかと勧める。
こうしてマリー=ルーの施設に来た真理は患者たちに演劇のワークショップをし、足裏マッサージなどのシアターゲームを指導する。患者たちは、真理のワークショップにすっかりのめり込んでいく。この日、真理が演出した演劇を施設で演じるべく吾朗がやってきた。真理や患者たちが見守る中、吾朗はお芝居を始めるが、途中で智樹が乱入、一人の患者と戯れて、その患者と転倒する。慌てた職員たちだが、患者たちが駆け寄り、足裏マッサージのゲームを始める。落ち着いたところで吾朗はお芝居を再開して、無事終演。真理はそのままベッドにつく。吾朗と智樹は真理に挨拶をして日本に帰る。
場面が変わると、京都の真理が気に入っていた山間、真理の遺骨をもって吾朗と智樹がやってきた。そして遺灰をその山に撒く。パリの施設では、マリー=ルーの改革も順調になり始め、確執のあったソフィとも仲直りして、マリー=ルーは施設の広場で患者の横で居眠りするようになっていた。こうして映画は終わる。
とにかく、台詞の一つ一つが深みがあって、しかも真理を演じた岡本多緒のセリフ回しが絶妙にリズムを生んでいる。さらにカメラの構図も、光の演出も実に美しく高級感に富んでいる。そのうえ、認知症患者たちと職員らの心の交流、本当の看護の意味などがさりげなく語られるにつけて、この作品の奥の深さが身に染みてくる。劇中劇の長塚京三の一人芝居も素晴らしく、全体はシンプルそのもののお話ですが、一本の映像作品として非の打ちどころのないテンポと完成度を達成しているのはすごい。久しぶりに傑作に出会った。
