「地上最大のショウ」
テレビでしか見ていなかった名作であるが、こんなにすごい映画だったのかとあっけにとられてしまった。いうまでもなく、監督は全盛期のセシル・B・デミルである。
豪華で壮大なサーカスシーンを全編に展開しながら、隅々に人間ドラマ、ラブストーリーを盛り込んで、一瞬たりとも飽きさせないストーリー展開の凄さ、そう、凄さなのです。それがとにかく素晴らしいのです。これが大作、これが名作と呼べる映画黄金期の傑作でした。
サーカスの座長で、鬼と言われるほど興行に命をかけるブラッド、彼には空中ブランコのスターホリーという恋人がいる。さらに客足を増やすために、ブラッドは、女癖は悪いものの芸は一級品という空中ブランコの大スターセバスチャンを引き入れることにする。
しかし、追いかけてくる警察を率いての登場に圧倒させるセバスチャンは、ブラッドの恋人ホリーにも色目を使う始末。しかも、危険な技を次々と行い、中央を取られたホリーを挑発して危険なことをやらせるから、ブラッドも気が気ではない。
しかし、なかなかセバスチャンの方に向いてくれないホリーの気をひくために無茶な技を演じたセバスチャンは落下してしまう。こうしてホリーは一気にセバスチャンに気持ちが揺らぐのだが、一方でゾウ使いのヒロインエンジェルもブラッドに気を向けていた。
さらに、サーカス場の周りであくどい露店を広げていた男を痛い目に合わせたブラッドは、その男の恨みを買ってしまう。さらに、妻を安楽死させ警察に追われている外科医がサーカスに紛れているというエピソードまで登場。なんと、最後まで白塗りのピエロ顏のままのジェームズ・スチュワートがその人という贅沢な使い方をしているのもすごい。
売り上げの金を奪ってやろうと計画した露店の男と、エンジェルに気のあるゾウ使いは、サーカスの列車を止めて金を奪うが、後続の列車が突っ込んで大惨事に。重傷を負ったブラッドに、セバスチャンが輸血をし、その治療を、逃げていた外科医が行ったため刑事に見つかる。
結局、テントもなくなり、無残になったが、ブラッドの気持ちを汲んでホリーが必死でサーカスの興行を計画した、青空のもと、開催するところがクライマックスとなる。ブラッドとホリーの仲も戻りハッピーエンド。
とにかく、当時世界一だったと言われるリング・リングサーカス団の全面協力で見せるサーカスシーンが圧巻で、本物の迫力が画面いっぱいに展開。その合間を縫って描かれるドラマの面白さとの絶妙のリズムで、二時間以上の長尺ドラマを一気に見せる手腕は感嘆に値する。
さすがに、色あせた映像でしたが、こういう一級品の大作は、ぜひデジタルマスターして、午前10時の映画祭でもかけて欲しいものである。いい映画を見ました。これが名作ですね。
「チャンピオン」
なるほどこちらも名作。役者の存在感が半端ではありません。さすがにカーク・ダグラスがすごい。監督はマーク・ロブソン。
映画は一人のチャンピオンが、リングに向かう暗闇の廊下に立っているシーンに始まる。廊下に灯る丸い明かりがポツンポツンと不気味に光っている。
そして、物語は、主人公ミッジと兄コニーが、ヒッチハイクでカリフォルニアへ向かっている。日銭を稼ぐためボクシングの試合に出たミッジだが、散々な目にあう。しかし、彼を見ていた名コーチトミーがプロ入りを勧めるが断る。
コニーとミッジはカリフォルニアに着くが、二人が経営するはずのレストランは、人手に渡っていて、仕方なくそこで働くが、オーナーの娘エマとミッジはねんごろになり結婚する。
しかし、ミッジは、このままではダメだとコニーと飛び出し、トミーのコーチで、最初は八百長試合をするつもりだったプロボクサーのダンを破り、みるみる話題になり、ボクサーの道を歩み始める。しかも、勝ち進み、チャンピオンになる。その過程で、新しいマネージャーのハリスにつき、その妻さえ自分のものにしようとする。
しかし、そんな彼を非難するコニー、さらに母も死んでしまう。ダンが再戦を望み、その試合が近づく中、コニーはミッジの妻エマと親しくなり、エマもミッジとの離婚を決意。ミッジは、再度トミーにマネージャを依頼し、ダンとの試合の日がきて冒頭の場面へ。
試合は一進一退で、ダンが有利に進み始めるが、ボロボロになったミッジは最後の最後、死に物狂いでダンに襲いかかり倒してしまう。
しかし、ミッジは控室で、脳内出血で死んでエンディング。
とにかく、カーク・ダグラスにぐっと寄ったクローズアップが、恐ろしいほどに鬼気迫るし、最後の最後、ただチャンピオンとして存在することしか残されていない自分の姿を見せるラストが見事なドラマを生み出す。
ヒッチハイクして過ごす貧乏生活に嫌気がさし、スポットライトを浴び、好みの女も自由に手に入れ、チャンピオンとしての存在に命をかける主人公ミッジの姿は、ある意味非常に切ないほどに物悲しい。
後ろ姿から漂う男の哀愁のようなドラマに、どこか胸が熱くなる、そんな一本でした。
「湖中の女」
一人称映画として有名なフィルムノワールの一本を見る。監督はロバート・モンゴメリーである。
主人公である私立探偵フィリップ・マーロウが語りかける映像から物語が始まる。自作の小説を持ち込んだ先の編集者エイドリエヌから、失踪した女性の事件の捜査を依頼され、物語が始まるのだが、全編、このマーロウの視点で画面が進む。時折鏡に写る姿を見せるものの、あとは一人称カメラである。
その斬新さは認めるのですが、いかんせんストーリーが間延びしてキレがない。しかも、何度も殴られたり逮捕されたり飲酒運転を見せかけて殺されたりと、あまり工夫のないアクションの繰り返しと、ミステリーとしての伏線の張り方が甘いために、ラストの真相が明らかになる場面も爽快感がない。
さらに、人物名の整理が前半わかりづらいために、物語に入り込めない。一人称カメラゆえの弊害なのかどうかはわからないが、もう少し思い切ってシャープにストーリー構成を作れば面白く仕上がったのではないかと思います。
レイモンド・チャンドラーの原作なので、脚本にするときの再構成が中途半端だったからかもしれませんが、一人称映画という個性作品としての一本という感じでした。