くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」「Mank マンク」「ホモ・サピエンスの涙」

シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」

テンポが良い映像と軽妙なセリフの応酬はまさに舞台シラノ・ド・ベルジュラックの世界という感じで楽しくてほんのり感動させるいい映画でした。監督はアレクシス・ミシャリク。

 

大女優サラ・ベルナーの舞台から映画は幕を開ける。戯曲を描いたのはエドモンドで、この日、客の反応は最低だった。そんなエドモンドは大俳優コンスタンの申し出で喜劇を描くことになるが、なんのネタもない。その頃、友達のレオがジャンヌという女性に恋焦がれていて、そのラブレターをエドモンドが代筆することになる。

 

巡業で遠くに行った舞台衣装担当のジャンヌにエドモンドがレオに代わって書いたラブレターが届く。エドモンドはそのラブレターこそが次の戯曲にぴったりだと、たまたまカフェの黒人の主人の提案を受けてシラノ・ド・ベルジュラックを主人公に戯曲を描き始める。

 

わがままな大女優マリアや借金だらけの大俳優コンスタンらを従えて、三週間後の初日を目指して必死で戯曲作成は進む。傑作舞台劇シラノ・ド・ベルジュラック完成までの秘話を映画用に脚色されているだろうがさまざまな実在の人物を交えて描く様が楽しい。

 

前半は細かいカットのつなぎでテンポよく目まぐるしく描き、上演シーンは流麗なカメラワークで延々と描写する演出が美しく、背後のコミカルな展開としんみり感動させるラブストーリーとの配分も絶妙で、かすかにシラノ・ド・ベルジュラックの物語をなぞっているのもいい。爽やかに感動できる一本でした。

 

「Mank マンク」

Netflix配信映画の一本です。長く感じる作品でした。小さい画面なら耐えられるのだがスクリーンサイズになると長く感じてしまった。暗転を繰り返し過去のシーンを回想しながら現代の主人公を描く演出は面白いのですが画面が重すぎます。でも面白かった。「市民ケーン」の脚本を描いたハーマン・J・マンキーウィッツの半生のドラマです。監督はデビッド・フィンチャー

 

ハーマン=マンクがある建物に担ぎ込まれる。少し前に自動車事故で骨折をしたのだが、RKOに呼ばれたオーソン・ウェルズから全面的に脚本の依頼を受けたためだ。マンクに付き添う看護婦とともにアルコール依存症の中執筆が始まる。映画は、執筆する現代と少し前の時代が描かれ、ハリウッドに巣食う魑魅魍魎やカリフォルニア州知事選に絡む光と影が描かれていく。

 

マンクが取り扱ったのは新聞王ハーストをモチーフにした物語で、以前からマンクの後援者でもあったハーストの影の部分を扱った脚本に、マンクの弟や周囲からの非難が垣間見えてくる。酒に溺れながらも溺れる瞬間に生み出される辛辣な物語はやがて完成しオーソン・ウェルズのもとへ送られ絶賛される。

 

ハーストの主催する晩餐会で悪態をついてハーストに追い出された過去や、ハーストの愛人でもあるマリオンへの想い、家族友人たちの盛衰、そしてハリウッドという巨人の時の流れに翻弄される姿を見てきたマンクは、当初の契約ではマンクの名はクレジットしないということだったが、オーソン・ウェルズが訪ねてきた時にクレジットを要求する。それは、彼が今後ハリウッドで仕事ができないことを意味するだけでなく、彼がこれまで目の当たりにしたハリウッドに対する反感でもあったかもしれない。

 

やがて映画は完成し、傑作だと絶賛されるがアカデミー賞で多数の部門でノミネートされるも脚本賞だけにとどまる。「それがハリウッドだ」というオーソン・ウェルズの言葉に象徴されるように、これこそハリウッドなのだ。そして、なぜオーソン・ウェルズと共同脚本となっているのかというマンクへの問いにも、「それが映画だ」と答える。これがアメリカ映画社会なのです。モノクロ画面なのですが、妙に暗いのは意図的なのかどうか不明ですが、やはり配信ドラマの域は超えなかった。

 

ホモ・サピエンスの涙」

よくわからない映画でしたが、一つ一つのエピソードの計算された画面を楽しむ映画なんだろうと思いながら見ました。監督はロイ・アンダーソン

 

空を飛んでいる恋人たちのカットからタイトル。そして、33のエピソードがほんの短いワンシーンワンカットで次々と描かれていきます。時間も場所も時代も違う様々なシチュエーションが織りなす映像はまるで万華鏡のように人類の微笑ましい瞬間として見えてくるから不思議です。

解説によれば不器用なまでの人類の悲しみ喜びを綴った作品だということです。映像を楽しむ映画でした。