「果てしなきスカーレット」
描きたいメッセージだけが一人歩きして作品がついていっていないなんとも間延びした退屈な映画だった。脚本が悪いのか声優が悪いのか、舞台設定やキャラクター設定に必然性もなく、単純な話を無駄な大作に引き延ばした感満載のアニメでした。監督は細田守ですが、いったい何があったのかという一本。
時間も空間も止まったような美しい世界で、一人の女性スカーレットが佇む場面からタイトルに移り映画は幕を開ける。16世紀デンマーク王国、争いよりも友好を重んじる王のもとで平和だったが、そんな政策に不満を持つ王の弟クローディアスは、王を謀略に貶めて処刑し自ら王となる。王の娘スカーレットは父の仇を打つためクローディアスを毒殺せんとするが、逆に毒を飲まされて死んでしまう。スカーレットが目覚めたのは死者の国だった。死者の国なら、クローディアスもいるはずと考えたスカーレットは、仇を打つために旅に出る。
そこで未来の国から来たという看護師聖と出会う。人殺しは絶対にいけないという聖に翻弄されながらも、スカーレットはクローディアスの部下たちが襲いかかってくるのを防ぎながら、クローディアスが目指す見果てぬ場所を目指してクローディアスを探す。死者の国でも力ある者が弱者を支配する構図に変わりはなかった。しかし、誰にも優しく接する聖の姿にスカーレットの心は少しづつ変わっていく。
そしてようやくクローディアスを追い詰めたスカーレットだが、見果てぬ場所への門を括るために懺悔をするクローディアスを見てスカーレットの心は揺らいでしまう。ところが、それは偽りの姿で、クローディアスはスカーレットを亡き者にしようとする。しかし、最後の最後スカーレットはクローディアスを倒す。全てが終わる中、神はスカーレットと聖に、本来生きているべき人間がいることを明かす。それはスカーレットだった。聖は虚無になってしまい、蘇ったスカーレットは、王女となり国を治めることになって映画は終わる。
クローディアスが死んでしまったことはラストまで明らかになっていないのに、なぜ死者の国に行ったスカーレットはクローディアスがいることがわかったのか。なぜデンマーク王国が舞台にならないといけないか。なぜ未来から聖という青年が現れないといけないのか。さまざまなところに何の説明もないままにダラダラとストーリーが進む。しかもアニメ映像としても美しいわけでもなく、生と死、未来と過去、さまざまなメッセージも弱いし、キャラクターが生き生きしていないのでとにかく退屈そのもの。さらに大作然とした作りも映像が散漫にしか見えない。なんとも中途半端に仕上がった作品だった。
「満江紅/マンジャンホン」
コミカルに展開する前半部分から、二転三転するストーリー、そしてクライマックスからメッセージに続く構成は流石に面白いのですが、漢字名の登場人物に最初はついていけず翻弄されてしまいました。ここまで長尺にする必要があるかどうかはともかく、張芸謀監督の職人芸が見られた作品でした。
12世紀中国、南宋は北方の強国金と攻防を続けていた。領土回復のために活躍した岳飛将軍が宰相泰檜に謀殺されてから五年後、泰檜は金国との和平交渉に臨む。しかしその前夜、金国の死者が殺され南宋の皇帝に渡るはずの手紙も消えてしまう。下級兵士の張大と若き武将孫均はこの事件に巻き込まれ、泰檜から、夜が明けるまでの二時間で犯人を見つけるように命じられる。しかし、物事はそんな単純な物ではなかった。
張大と孫均が調査する流れを中心に、その密書は金国から宰相に宛てられたもので、泰檜は、和平を望んでいるのではなく国を売らんとしている内容らしいとわかる。その証拠として密書を見つけるべく張大は活躍、密書を見つけたが張大の妻が飲み込んでしまう。飲み込む前に内容を覚えた妻を証拠とするべく、可と武という二人の大臣も交錯していく。二転三転どころではない展開にこれ以上は細かく物語を記せないほどで、ある意味コミカルでさえある。
そしてクライマックス、張大は身を挺して孫均を泰檜に勧め、泰檜は孫均を軍の頂点に出世させるが、孫均はさらに泰檜に、岳飛が死ぬ直前に読んだ詩を諳んじさせることで権力を剥奪しようとする。泰檜が諳んじた詩は「満江紅」であった。兵士たちがそれを諳んじ、孫均と張大の計画は終盤を迎えたが、諳んじたのは泰檜の影武者だった。本物の泰檜が現れ、影武者にまで裏切られて嘆く中、孫均は、今や全ての力を失った泰檜を残し、何処かへ旅立って映画は終わる。
とにかく、コミカルなほどに二転三転四転五転としていくので何が何だかわからないが、行き着くところ岳飛の詩というラストはさすがに中国讃歌というほかない。とはいえ、張芸謀の演出手腕は衰えていないと確認できる作品ではあった。

