くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

kurawan2018-03-09

「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」
後味の悪い映画というのはあるが、まさにそういう一本。カンヌ映画祭脚本賞を取ったと言いますが、確かに物語の組み立ての面白さは認めますが、個人的には好きではない映画だった。監督はヨルゴス・ランティモス

手術シーンから映画は幕をあける。主人公スティーブンは心臓外科医で、日々多忙を極めている。妻のアナも医師である。最近、スティーブンは、将来医師になりたいというマーティンという少年と会うようになっていた。彼の父親は手術中に亡くなり、その執刀医がスティーブンだった。

最初は親しげに連絡をするだけに見えるマーティンだったが、次第に執拗に会うことを要求するようになる。そしてある日、スティーブンの息子のボブが歩けなくなり、さらに食事も取れなくなる。原因もわからないままに、スティーブンはマーティンから、いずれボブは死ぬと告げられる。そして自分の父を殺したのだからスティーブンの家族も一人死ぬべきだというのだ。

最初は取り合わなかったが、やがてマーティンの言う通りにボブの症状は進み、さらに娘のキムも歩けなくなる。

シンメトリーな非現実な構図と延々と動くカメラワーク、物々しい音楽効果が作品の空気を盛り上げて行く。

スティーブンとアナはマーティンの所業を食い止めることが不可能と判断し、彼の要求通り一人を殺すことを決め、アナ、キム、ボブの三人の顔に袋をかぶせ、中央で猟銃を持ったスティーブンが、彼もまた目隠しをしルーレットのように回り、銃を撃つ。死んだのはボブだった。

カフェで、快復したキムとスティーブン、アナが座る。マーティンが彼らを振り返り、スティーブンらは店を出て暗転エンディング。

なぜ、マーティンが黒ミサのような仕業を成せるのかの説明は全くないが、その表情から、人間離れした恐怖感がみるみる見えてくる演出と脚本は見事である。ただ、家族で誰かを犠牲にすると言う展開はB旧ホラーのようなテイストで、作品全体が非常に陰湿でどうも好きになれなかった。


「ハッピーエンド」
これだけハイレベルな映画になると、カットのそれぞれに無駄がなく、最小限の映像で見事に物語を紡いで行くから素晴らしい。一見、どう言うことかわからないほどに細かいシーンが編集されて行くがラストに向かってきっちりとまとまってくる。これが才能だなと思います。監督はミヒャエル・ハネケ

画面は携帯で動画を撮っている映像で始まる。果たして誰が撮っているのかはラストで全て明らかになるのですが、動画の端々に挿入される言葉が実に辛辣で、ちょっと怖いのがわかる。

建設会社を経営し大邸宅に住むロマン家、祖父のジョルジュはすでに引退し娘のアンヌが経営をしている。アンヌには医師のトマがいて、トマには前妻との間にエヴという13歳の娘がいる。エヴの母親が自殺し、エヴがロマン家にやってくる。トマは今の妻との間にポールという赤ん坊が生まれたが、トマはエロチャットで不倫をしているようである。このチャットをエヴが見つける。

アンヌの息子は成人して母の会社にいるものの失敗が多くアンヌに非難されている。

ある時、ジョルジュは車で木に追突し、一命を取り留める。一方エヴも自殺未遂をする。どこかギクシャクするロマン家の三世代の生活が、一見普通の人間ドラマのようで、かなりのドロドロした危うい空気が漂っている。

友人たちを招いたパーティで、アンヌの息子がやけになり勝手に黒人の客を連れて来て騒ぎを起こすと、ロマン家のかろうじて保たれていた秩序は崩れ始め、ジョルジュはエヴに外に連れ出して欲しいという。

エヴはジョルジュに言われるままに車椅子を押し、海岸の下り坂に連れて行く。ジョルジュはそのまま海に入って行く。溺れようとするジョルジュをエヴが携帯を取り出し動画の撮影を始める。駆けつけるトマとアンヌが携帯の画面にフレームインして暗転エンディング。見事です。これが映画のラストシーンと言わんばかりも演出に唸ってしまいました。