くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「可愛い悪魔」「ぼくが生きてる、二つの世界」

「可愛い悪魔」

ブリジット・バルドーの魅力とキャラクターが爆発した作品で、演じた女性イヴェットのなんとも言えない小悪魔的な存在感は彼女無くして描けなかったろうと思える一本だった。ニヒルな役のイメージしかないジャン・ギャバンのチグハグにさえ見える存在感、周囲の脇役の心理状態がうまく掴めない映画だったけれど、不思議に面白い映画だった。監督はクロード・オータン・ララ

 

エリザベス女王がフランスにやってくるという日、警備が手薄と考えたイヴェットとノエミが強盗に入る計画を立てている場面から映画は幕を開ける。おもちゃのピストルを買って、時計店に押し入ったものの、老婦人の奥さんが帰ってきて狼狽えたイヴェットは老婦人を殴って逃走する。ノエミと別れ、行きつけのガストンのバーでイヴェットはノエミを待ったが一向に現れず、捕まったと判断したイヴェットは弁護士ゴビヨの元を訪れる。ゴビヨはイヴェットの魅力に惹かれ弁護を引き受け、ガストンの有利な証言もあって、イヴェットは強引に無罪となる。しかし、ゴビヨは弁護士会から懲戒申請を提出されてしまう。

 

妻ヴィヴィアヌの冷たい視線をものともせずにゴビヨはイヴェットにのめり込んでいくが、イヴェットは男遊びの盛んな女でゴビヨは翻弄される。それでも、自分を無罪にしてくれたゴビヨへの恩はしっかり持っていたイヴェットはゴビヨの求めに応じ、ゴビヨの言われるままにアパートを与えられ、逢瀬を繰り返す。

 

そんな時、イヴェットの前に医学生の青年マゼッティが現れる。マゼッティはイヴェットの妖艶な体にすっかり熱をあげ、二人は頻繁に会うようになる。イヴェットはマゼッティと体を合わせるもののゴビヨに与えられる贅沢な暮らしから抜け出すことができなかった。そんなイヴェットにマゼッティは戸惑いながらも、執拗に追いかけ回すようになる。一方、ゴビヨはイヴェットの裁判での強引な手法で二ヶ月の業務停止処分を受けてしまう。

 

しかしゴビヨのイヴェットへの想いは昂るばかりで、貴族の古い邸宅を手にれて、女中ジャニーヌも雇って、イヴェットをその屋敷に住まわし、通うようになる。まもなくして、イヴェットは妊娠したことがわかり、嬉々とするゴビヨだった。イヴェットはジャニーヌと気が合い、常に行動を共にするようになる。やがて自宅に戻らなくなったゴビヨはこの邸宅に住まいし、秘書に書類を届けさせて仕事をするようになってしまう。

 

ゴビヨはスキーに行く計画を立て、ジャニーヌと三人で街に買い物に行く。少し歩きたいというイヴェットを残してゴビヨは帰宅する。イヴェットはジャニーヌにも別れて、自分が買ったセーターと同じものを買って、マゼッティのアパートへやってくる。そして二人はしっかりと抱き合う。なかなか戻ってこないイヴェットを心配したゴビヨは、ジャニーヌに連絡するも、イヴェットは一人で店に入ったままだと言われ、悪い予感がしたゴビヨは警察へ行き事故の連絡がないか確認する。そして帰りかけた時、駆けつけた警官が、イヴェットが殺されたという連絡を告げる。

 

ゴビヨが向かった場所はマゼッティのアパートだった。帰ろうとするイヴェットをマゼッティが刺し殺したのだという。血だらけで横たわるイヴェットを後にゴビヨは外に出る。全てなくなった虚無感に浸って空を見つめて去っていくゴビヨの姿で映画は終わる。

 

ある意味、男を手玉に取る悪女のようにも見える女ですが、ブリジット・バルドーが演じると可愛らしい小悪魔的で男目線から憎めない存在に変わるから不思議です。複雑に揺れる女心と、一人の女性に翻弄され人生を狂わせられていく初老の男と若い青年のあまりに切ないながらも寂しく辛い物語は、見た後、不思議な感覚を感じてしまいました。いい映画でした。

 

「ぼくが生きてる、二つの世界」

障害者であっても健常者であっても、人生を生きる上で何の変わりもない。そんな普通のことをシンプルな物語に巧みな映像のリズムで語っていく秀作。この手の作品は苦手だが、いつの間にか、あまりにも普通の物語に何のこだわりもなく見入っている自分に気がつきました。原作者自身の物語という実話なのですがそんな分け隔ては全くない描き方が実に上手いなと思える映画だった。監督は呉美保。

 

五十嵐大が生まれ、この日お食い初めの日らしく、家族や近所のおばさんらが集まっている。どうやら大の両親は聾唖者であるらしく手話でやり取りをしているが、生まれた大は泣いているところから健常者であるようである。祖父はいかにもヤクザ者的で物言いも肩の刺青も只者ではない。そんな祖父をあしらう祖母もまた気丈夫な雰囲気である。大の両親も湿っぽさがなく始まる。

 

映画は、大が赤ん坊から小学校、中学校、高校と進学していく中で、近所の人やクラスメートとの諍いやすれ違い、さらに思春期に両親が聾唖者であることからの劣等感で突っかかる展開が続く。そんな一昔前の展開の合間に祖父が寝込み、やがて亡くなる。大は大学受験に失敗し、人生の方向が見えなくて役者を目指してみたり、行きたくもない会社の面接を受けたりする。

 

東京で暮らすことを決めて上京、パチンコ屋で働いたり、手話サークルに参加して、同様の境遇の人たちと交流したりするが、自身を曝け出してみた小さな雑誌社へ就職する。忙しい日々の中、父がくも膜下出血で倒れ、実家に戻った大は、母に初めて素直な気持ちを伝える。それはこれまでの感謝の言葉以外になかった。東京へ戻る大を見送りに来て帰る後ろ姿を見て、これまでの人生を振り返り、かつて上京する際に母が背広やいろいろを買い揃えてくれて送り出してくれた日を思い出す。東京へ向かい列車の中で、大はパソコンを取り出して「ぼくが生きてる、二つの世界」と書き始めて映画は終わっていく。

 

主人公は両親が聾唖者であるいわゆるコーダという存在である。しかし、そこに私たちと何の変わりがあるのだろうと、いつの間にか心の中で感じ始めている。大が小学生の頃、耳が聞こえないことを責められたと母は父に話すが、どんな家庭でもいろんな問題があるもんだから、同じことなんじゃないかと慰めるくだりがとってもいい。よくあるお話なのですが、映像作りの構成やリズムが抜群に上手いので、素直に感動してしまう。いい映画というのはこういう作りのものを言うのだと思います。