くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エッセンシャル・キリング」「おじいさんと草原の小学校」

エッセンシャルキリング

「エッセンシャル・キリング」
アンナと過ごした4日間」のイエジー・スコリモフスキー監督の話題作でベネチア映画祭審査員特別賞、主演男優賞受賞した期待の一本。

一人のアラブ人(ヴィンセント・ギャロ)がアメリカ軍からひたすら逃げるだけというシンプルすぎる物語を、主人公のせりふはいっさいなしというアイデアで描ききるサスペンスである。

イスラエルの砂漠地帯の轍の中のほこりっぽいシーンの連続から一気に閉鎖された収容所のショット、さらに夜の闇の中での逃亡から雪の林の中での逃避行をひたすら主人公の息づかいと、極限まで迫る飢えと披露の中、対照的なくらいに美しい自然の風景を交えた映像のリズムが独特のスリリングな展開を生んでいきます。

いきなり砂漠地帯の轍を飛ぶヘリコプターからの映像で映画は始まります。さらりとタイトルが右下に流れ、カメラは地上を進む三人のアメリカ軍らしい兵士をとらえる。先頭に地雷をチェックする機械を持つ軍人、後に続いて遊び半分にふざけながらついていく二人の兵士。

やがてその前方に一人のアラブ人が逃げていることが見えてくる。はぁはぁという息づかいが驚くほどの緊張感を生み出し、追いつめられていく心理状態が不気味に私たちに伝わってくる。そして、そのアラブ人は一人のロケット砲をだかえたまま死んでいる兵士を見つけ、そのロケット砲を奪って、追ってくる三人を待つ。

そんなことと知らずに近づいた三人は一瞬で粉々に吹き飛ばされる。衝撃的な導入部ですが、空中からヘリコプターで迫る追っ手から逃げられるわけもなく、背後からロケット団を打たれ吹き飛ばされる主人公。一命は取り留めたものの、その爆風で耳が聞こえなくなる。

とらえられた男はとある収容所へ。そしてそこから別の場所へ護送の途中でトラックが事故に遭い、脱出。ここから雪の森の中を必死で逃げていくこのアラブ人の姿をカメラが追っていくのが本編です。

飢えのために虫を食べ、木の皮を口にし、あげくに母乳を与える女の乳房にさへむしゃぶりついてしまうショットには驚いてしまいます。

野良犬に教われ、木の実をかじったところが幻覚を呼ぶものだったのか存在しないブルーの着物を着た女が見えたりする。途中で格闘した時の傷が次第に大きくなり疲れが極限に達したところで一軒の小屋にたどり着く。

何とかその小屋に住む女は中へ入れてくれたが、なんとこの女、耳が聞こえずしゃべることができない。徹底的にせりふを排除したストーリー構成が見事である。
そして一夜を過ごしたアラブ人は女の無言の仕草で外へ追い出され、一頭の馬をあてがわれ、とぼとぼと再び森の中へ。

真っ白な馬の背中に男の口から血があふれ、次第に赤く染めていく。まもなくこの男の命が果てるかのように思えるところで画面は変わり誰も乗っていない馬が美しい雪景色の中にたたずんで暗転。エンディングとなる。

男の息づかい、追っ手の米軍兵たちの軍隊調の口調が飛び交い、ヘリコプターの音や野犬の泣き叫ぶ声が入り交じる音の世界の背景にあまりにも美しい太陽に光や、時折男が思い出すイスラエルの景色がオーバー露出の明るさで挿入され、見事に映像と音のリズムで紡がれていくシンプルなストーリーは不思議と見終わってから心に何かが残る。

みるみる命がすり減らされていく環境の中で必死で息づかいしていく主人公の姿はまさに鬼気迫る物があり、せりふをいっさい廃した映像づくりの迫力は、”生きる”ということに執拗にこだわり必死になるこの男の心の動きを圧倒的な迫力で私たちに訴えかけてくる。しかし、行き着く先にあったのは結局誰からも救われることなくたどり着く”死”のみであったというむなしさこそがこの作品の見応えであろうと思います。

話題の一本ですが、「アンナと過ごした4日間」ほどの感動は生まれませんでした。同時に回顧上映されたこの監督の作品に似たものがあるという印象でしたね。

「おじいさんと草原の小学校」
久しぶりにストレートにいい映画に出会ったような気がします。もちろん、内容はかなりシリアスであるし、政治的な意味合いも含まれ、さらに人種問題、アフリカの独立問題など様々な現代のテーマが盛り込まれている。しかし、そんな暗い内容をまっすぐに人と人の心の交わりを中心に組み立てたストーリーが実に美しいのである。

物語はアフリカのケニア、最初にテロップが流れる。1953年、マウマウ族の大規模な反乱で当時、ケニアを支配していたイギリス政府は彼らを100万人を収容所へとらえ虐待を重ねた。しかし、この反乱がきっかけでケニアは独立し今日があるという内容である。

現代、ここに一人の老人が一通の手紙を見ている。「大統領府」とかかれているがその後は読めない。一方、ケニア政府はすべての小学校を無料にすると全国に告知。そして舞台はとある小学校へ。
子供たちが集うところへ一人の老人がやってくる。そして小学校へ入りたいというが、当然、服が必要だとか鉛筆が必要だとかいって追い返す。そのたびにノートや鉛筆をそろえて何度もやってくるおじいさん。彼の名はマルゲ、もとマウマウ族で収容所で虐待された一人である。

何度もやってくるマルゲに何かを感じた校長のジェーンは彼女の独断で彼を生徒にする。当然、政府や地元の反感や圧力がかかり始める。
一生懸命勉強するマルゲだが、時としてかつての収容所時代の過酷な日々や結婚した頃の幸せな日々、あるいは戦いに明け暮れた日々が交錯する。ありきたりの構成ながら、子供たちの無邪気なシーンと対照的に挿入されるショットがかなりショッキングである。

やがて、マルゲの行動はケニア中に広まり、新聞社や政府も宣伝に利用するようになってくるが、やはり根本的には彼が問題であり、彼を養護するジェーンの存在も目に余る。時に、部族同士の諍いさえも争いの種になり、生徒たちに好かれたジェーンは500キロ離れた別の学校へ転勤命令が。

ところが、後任の先生は生徒たちに追い返され、万を期してマルゲは一人ケニア中央政府の議長に会うべくナイロビへ。そして、そこで議会の席へ乗り込んで直談判。
「子供は国の未来である。よい先生を帰してほしい」と叫ぶところでストレートに涙ぐんでしまいました。
そして、当然として議長の心が動かされ、ジェーンは再び元の学校へ。

教室にいるジェーンにマルゲは一通の手紙を持ってくる。
「難しくて読めないので読んでほしい」
常にマルゲが広げていた手紙で、大統領府からのもの。
そこには、マウマウ族としてケニアの独立に犠牲を払って戦い、数々の収容所で辛苦を味わったマルゲに対するケニア政府からの謝罪と賠償金を払うという通知であった。

文字を読めないために賠償金のことさえもわからなかった政府の対応への批判も含まれたラストシーンであるが、この後に続いて、大勢の子供たちが走って彼方へ抜けていくエンディングが実にさわやかである。そして、地元の人たちのシーンでは現地の民族音楽調の曲がながれ、ジェーン先生が戻ってくるシーンなど娯楽映画的なシーンでは西洋音楽調の曲が流れる非常に計算された画面づくりもこの映画の優れた点である。

もちろん、実話に基づく話で、マルゲは後に国連で演説した等のテロップも流れて終わるが、暖かいありきたりの人間ドラマかと思うと、その背後にある深い物語に地割りと感動させられてしまう一本でした。こういう映画は見なければいけませんね。そんな作品です