くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「ドイツ零年」「新ドイツ零年」「渚の白い家」

「ドイツ零年」

第二次大戦終戦直後のドイツを辛辣な視点で徹底的にリアルに描いた傑作でした。流れるような長回しのカメラワークと視点を変えて描かれる廃墟のドイツの街並みで展開する人間ドラマがとにかく辛い。名作とはいえ、悲惨すぎるラストは何ともいえない残酷さがあります。でもそれが戦争というものなのでしょう。監督はロベルト・ロッセリーニ

 

第二次大戦が終わり、廃墟となったベルリンの街並みをカメラがとらえて映画は幕を開ける。廃墟のようなアパートで暮らすケーレル家、姉のエヴァは、夜毎男性と親しくなって施しを得ている。弟のエドムンドは、街に出て墓場の穴掘りの仕事をしていたが年齢がバレて家に返される。家では病気の父が伏せっていて、兄のカールはナチスに所属する軍人だったので、身を隠している。生活を支えているのはエドムンドとエヴァだったが日々の生活は苦しい。

 

この日も電気を使いすぎだと役人の調査で責められ、大家ともども困っている。大家は、秤を売るようにエドムンドに依頼、エドムンドは街に出てまんまと肉の缶詰と交換させられてしまう。そこへかつての担任の教師エニングと会う。エニングはエドムンドに、ヒトラーの肉声の入ったレコードを総統のかつての住居へ行き、観光できている英米兵に売りつける仕事を世話する。そこで、エドムンドは、兄貴分のヨーとクリステルという少女と出会う。ヨーは石鹸で人を騙して金を取ることをしていた。エドムンドはエニングにもらった金でヨーから石鹸を買い、同じことをしようとするが騙されてしまう。

 

帰れなくなったエドムンドが一晩外泊して戻ると父はエドムンドを責め立てる。間も無くして父の容態が悪化、医師のコネで病院へ一時入院する。そこで贅沢な食事を得た父は回復して退院する事になる。父が戻ったらまた生活が苦しくなる。エドムンドはエニング先生に相談に行くと、エニングは、父を何とかしたら良いとアドバイスする。エドムンドはそれは父を殺す事だと理解してしまい、見舞いに行った際に毒薬を持ち帰る。

 

自宅に戻った父を囲んでの食事、エドムンドは父の紅茶に毒薬を入れ殺してしまう。そこへ警察の住民捜査が入り、カールは隠れることをやめ住民登録するために出頭する。そして、カールは無事登録を済ませて戻ってくるが、父が亡くなったことを知る。エドムンドは罪悪感に苛まれエニングに相談に行き、父を殺したと告白するが、エニングは自分はそんなことをアドバイスしていないと突き放される。父の葬儀の車が出ていき、教会からパイプオルガンの音色が聞こえてくる。街を彷徨ったエドムンドは、耐えきれなくなり廃墟のビルの上に登り、そこから飛び降りる。エドムンドの亡骸を見つけたエヴァは呆然と崩れ落ちて映画は終わる、

 

家族のそれぞれが、戦争という悲劇の中で、苦しみもがき、そして到達した先は悲劇だったというラストがとにかく身につまされて辛いが、それが戦争への非難をリアルに浮き上がらせる筆致は見事。傑作と呼べる一本だった。

 

ドイツ零年(字幕版)

ドイツ零年(字幕版)

  • エドモンド・メシュケ
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「新ドイツ零年」

ベルリンの壁崩壊後のドイツベルリンの姿を、ドキュメンタリー映像や過去の映画作品のフィルムを交え哲学的に語っていくいわば映像詩のような作品で、哲学的な言葉やナレーションを繰り返す中、ゴダールらしい作風が前面に押し出される映画だった。監督はジャン・リュック・ゴダール

 

ベルリンの壁崩壊後のベルリン、市電が走り、ヘーゲル哲学を翻訳しているゼルテン伯爵が東ドイツに身を隠しているレミーを訪ねるところから映画は幕を開ける。ゼルテンはレミーに西に帰るように勧める。ワイマールの収容所跡地では所内の遺物が叩き売られ、レミーシャルロッテという少女と出会いワイマール周辺を歩き回る。

 

広大な大地に巨大な工事用削岩機が動いている。通りかかったドン・キホーテらが西はどっちかと尋ね、工事用削岩機をドラゴンと思い込んで突進していく。レミーは港町のカフェで、ソ連の偽情報をゲシュタポに流していた過去を思い出す。ベルリンの壁がまだ存在すると思ったレミーはゼルテンに連絡、道には国家権力に殺された若者たちが倒れている。やがてレミーは西側に到着、船で川を渡り、ベルリンに入り、クリスマスの夜を散策し、インター・コンチネンタル・ホテルに入る。こうして映画は終わっていく。

 

ナレーションとテロップが氾濫する作風はゴダールらしく、ドキュメンタリーとフィクションを交えた映像は、流れるストーリーというより映像詩の趣を伝える。一瞬の時間を切り取ったかの作品で、決して娯楽作品とはいえないが、面白い映像作品だった。

 

 

「渚の白い家」

お話は面白いのですが、展開がスローテンポで今一つキレがなく、間延びして淡々と進むのでちょっとしんどくなってしまった。終盤の畳み掛けをもう少し前半に構成を変えていたらもっと引き込まれたかもしれない。浅丘ルリ子のスター映画のような前半部分がちょっと無駄に長い作品だった。監督は斎藤耕一

 

海際の白い家、飲み物の空瓶などをとらえたあと部屋の隅でうずくまる一人の女性夏子を映して映画は幕を開ける。場面が変わると一台のパトカーが疾走していて、草原の中の一軒の家にたどり着く。そこに住む女性マレイに声をかけたところから三ヶ月前に遡る。日米合弁企業で働く敏彦は、妻夏子と共にアメリカの地で暮らしていた。夏子の一族はこの企業の大株主でもあった。

 

多忙を極める敏彦は夏子を蔑ろにすることが多く、夏子は、精神的に孤独に打ちのめされて苦しんでいた。そして時々幻の人影を見るようになる。そんな夏子を女中のマレイは心配していたが、敏彦は、何かにつけて来客をもてなし夏子の異常に見て見ぬ振りをしていた。

 

ある日、夏子が浜辺を歩いていると一人の青年が海から現れ、夏子を抱きしめる。しかし、青年のことを敏彦は信じようとしなかった。一方、知人のロザリーは、精神的に参っている夏子に浮気を勧める。夏子はあれ依頼、時々あの青年と逢瀬を繰り返すようになる。妻の様子がますます悪くなると考えた敏彦は、東京へ転勤することを考える。夏子はロザリーと共に敏彦を空港まで送っていく。その帰り、夏子はロザリーと別れて青年と会い、離島へ旅立つ。

 

夏子が青年とのアバンチュールを楽しんだあと帰宅すると、東京へ行っていた敏彦がいた。敏彦は、夏子の具合を心配して夏子の後をつけたのだという。そして写真を夏子に見せるがそこには青年の姿は映っていなかった。全ては夏子の幻覚だったと敏彦に言われる。打ちひしがれた夏子は、敏彦が客を招いて飲んでいる夜、遺書を残して海に入って自殺してしまう。そして遺体が上がらないまま自殺として処理される。ところが、敏彦は夏子に見せた写真に貼ってあったシールを剥がすと、そこに青年と抱き合う夏子の姿が現れる。全て敏彦とロザリーが計画した犯罪だった。敏彦とロザリーは不倫関係にあり、夏子が邪魔だった。

 

夏子を殺したのは、ロザリーの知り合いの青年で、それは夏子が幻覚だと思った青年だった。青年は夏子の遺体を処分するべく車で去っていく。敏彦とロザリーは、日本へ帰るべく空港へ行こうとして車に乗る。ところがトランクに夏子の遺体が乗せられていた。青年が裏切ったのだ。敏彦とロザリーはひとまずホテルに行き、車をパーキングに停めて青年からの連絡を待つが、突然、車が動き出して走り去ってしまう。間も無くして青年から電話が入り、20000ドルを要求してくる。そして、青年は夏子のことを愛してしまったと告白する。傍には死んでいない夏子が部屋の隅でうずくまっていた。

 

金の受け渡しの場所で敏彦とロザリーが待っていたが、そこに現れた青年は二人を銃で撃つ。場面が冒頭に移り、警官はマレイから事情を聞いていた。そして、白い家でうずくまる夏子が警察に同行されてパトカーに乗って走り去って映画は終わる。

 

後半の真相が見える場面はもうちょっと鮮やかさが欲しかった気がしますが、終始、淡々としたリズムを崩さないので、全体が間延びして見えてしまった感じです。まあ、面白かったけれど、普通の映画だった。